あまりの驚きに声を裏返らせる貴幸に、悟志は皮肉げに笑った。彼に似つかわしくもない、どこか突き放すような、からかうような言い方で。
「ああ、もう、いいや。タカちゃん彼女できたんだもんね。隠してたって言ったって変わらない。僕はタカちゃんが好きで、だから彼女ができたって聞いて怒った。それが理由」 「え? いや、……そんな、おまえ」 好き。タカちゃんが。好き。 混乱して頭が働かない。呑み込む前に次の言葉が来て、落ち着かないままの心を更に揺さぶっていく。貴幸の言うことは単語にすらならず、頭の中でも何を言いたいのかまとまらず、ただ動揺が口から出るだけだ。 ふと、悟志が苦笑した。 「気持ち悪い? ごめん。でも鈍すぎるよ、タカちゃん。普通気づくでしょ」 「いや、さ、悟志……。にぶ? 待て」 「恋人ができたとか何とか、嘘ついてまで頑張ったけど。終わりだね、もう何も言えない」 「ちが……待て、それは、…え、嘘!?」 おかしいぐらいに一つも言葉がまとまってくれなかった。それでも、今の部分だけは聞き返すことができた。 悟志は半ば投げやりな調子で笑っている。 「そう、嘘。って言うかさ、普通言わないよ? 『練習にキスさせて』なんて。信じやすすぎるよタカちゃん」 「おい……」 「まあ、そういうところが好きなんだけど」 呆然としてしまうような言いぐさだった。疑う貴幸を騙しておいてこれだ。もはや何も言うことができない。だがある意味でそれは、貴幸の頭を冷静にさせた。 好きだと言った。悟志が、自分のことを。そして笑いながら、鈍いと言った。 とても俄には信じられないようなことなのに、何故かその一方で、全ての謎が解けていくようだった。 名を呼んで甘える悟志。ころころと表情を変えて、彼はいつだって甘えてきていた。――そういうことだったのだ。 悟志は視線を外して自嘲気味に言った。 「まさか、……って言ったら失礼だけど、タカちゃんに彼女ができたんじゃね」 「待て」 「あーあ。騙したりしたから、バチが当たったのかなあ」 「待てよ」 「でもタカちゃん、できたら今後もこれまでみたいに」 「――待てって、言ってるだろ!」 どこか遠くを見たままで悟志が言い続けるもので、貴幸はそれを力強く遮った。悟志が貴幸の方を見る。 「悟志、待ってくれ……。俺は…」 体中が煮えてしまったようだった。かあ、と頬が熱くて堪らなくなり、その温度の高さに目元が滲みそうになる。 貴幸はようやく言うことができた。こんなことだとは知らず、大きく遠回りしてしまった昔からの真実、その変わらない内容を。 「俺も……、悟志が、好きだ」 「えっ?」 「好きで、それで二年前に気づいたから……、もう、側にはいられないと思って、離れたんだよ。本当は今だって、ずっとお前のことが好きだ」 「ええっ!?」 ずるりと、頬杖をついた悟志の体が崩れた。たった今まで皮肉っぽい表情を浮かべていた彼は、貴幸の言葉を聞いて、ポカンと情けない顔をした。 「な、何それ? だって、彼女は」 「それは」 言いづらいことこの上ない。今度は先ほどと逆の状況だった。慌てる悟志に、何と言ったものか悩む貴幸。 しばらく迷った後に貴幸は重々しく口を開いた。 「……嘘だよ、俺も。まさかこんなことだと思わなくて、もうあんな練習とかいうのを続けちゃ駄目だと思って、それで」 話しながら、あのときのことを思い出す。 ごめん、好きな奴いるんだ。貴幸がそう言って謝ると、加奈子はぎゅっと唇を噛み締めた。今にも泣いてしまいそうな顔で、それでも笑みを浮かべようとして、表情は不自然に歪んでいた。小刻みに震えながら、無理矢理に彼女は涙を振り切り、泣き笑いの顔で言ってみせた。 ――そうなんだ、頑張って……ね、応援するから。 そう言いながらも彼女の語調はすぐに震えた。目元も真っ赤に染まり、言い切った後にはしゃくり上げる音が響く。けれど貴幸はそれには気づかなかった振りをして、ありがとうと言った。加奈子も零れ落ちた涙を拭おうとはせず、明らかな涙声で「また学校で」と貴幸に笑いかけてきた。 言うなり背を向けて走り去っていった彼女が、袖口でごしごしと涙を拭っているのが貴幸からも見えた。彼女を傷つけてしまったことに、それでも貴幸の前では微笑んでみせた健気さに、ずきんと強く胸が痛む。 それでも翌日に教室で会ったとき、加奈子は赤い目をして戸惑いながらも微笑み、挨拶をしてくれたのだ。切ないながらもその姿が暖かかった。 「何それ」 悟志は唖然として感情の篭もらない声で呟いた。 「何それ? それって、じゃあ……両思い?」 「に、なるんじゃないのか、一応……」 「…………」 「…………」 二人して黙り込む。何も言えなかった。とても信じられなくて。もしかして自分たちは意味もなく凄く長い遠回りをしたのではないのかと、馬鹿らしくなって。恥ずかしくて。嬉しくて。 「……う」 悟志がふと、体をぶるりと震わせた。 「う、嬉しい! 嬉しいよ、タカちゃああん!」 「わっ!」 叫びながら悟志は、机の角を挟んで座る貴幸に思い切り飛びついてきた。反動で転びかけてしまう。安定しないその体を、悟志は痛いほどに強く強く抱きしめ、思い切り頬を擦りつけてきた。 「何これ? これ夢? 夢じゃないよね!?」 「俺が言いたいよ! そんなこと」 「うわあ。信じられない、何それ。二年前から? タカちゃん、僕を嫌いになったんじゃなかったんだ?」 「なるわけないだろ。あんな目に遭ってまで助けてくれたのに」 「うわあ。うわあ……。うわあ」 悟志はよほど嬉しくて堪らないようで、ぎゅうううと擬音がつきそうなほどの勢いで貴幸を抱いていた。 貴幸も、恥ずかしくてどうしようもない。今この瞬間になってもまだ、現実感が沸いてこなかった。むしろ時間が経つごとに嘘のようで、覚めてしまいそうで、痛いまでに回された腕の強さに現実なのだと安心する。 それでもやはり信じられなかった。 「悟志……。お前、本当に俺のこと、好きなのか?」 「うん。好きだよ。ずっと前から、タカちゃんのことだけが好き。今日なんか、会えただけで嬉しくてこの前のこと忘れちゃったぐらいだよ」 迷いも躊躇いもなく悟志は言い切り、幸せそうに微笑んで一層強く貴幸を抱きしめた。だが貴幸の腕は、彼の背に回すことができない。中途半端に持ち上がったままだった。 「――お前のそれは……勘違いじゃないのか。錯覚じゃ」 「何、それ?」 戸惑いながら貴幸が言うと、悟志はずっと抱いていた体を離した。貴幸の両腕を掴んで、呆気に取られた顔をして見上げてくる。 「昔から俺と一緒にいたから……ただ幼なじみとして好きなのを、誤解してるだけなんじゃないのか」 言っていて自分でも胸が痛んだ。真実がそうであるようにしか思えてならなくて。 悟志とはずっと昔から一緒だった。もしかしたら親よりも近しいほどに仲が良かった。だから悟志は、自分がいなくなったときの喪失感を、恋と錯覚してしまったのではないだろうか。 しばらく黙ったあと、ぽかんとしていた悟志は傷ついたような目をした。 「そんな訳ないよ。だって僕は、タカちゃんにキスしたりしたいよ? 恋だよ」 「キ!」 「キス」 言って、悟志は頷いた。照れもせずに。 「これだけ僕が散々、好きだって態度で示してるのに、そういうこと言うのは酷いよ。タカちゃん」 不満げな口調だった。 その寄せた眉を見て――貴幸は思った。確かに、今の自分の言葉は、酷いものだったと。いや、今だけではない。自分が余計なことばかりしたせいで無駄な回り道ばかりをしてしまった。そして、悟志のことを傷つけた。 「ごめん」 「分かってくれたなら、いいよ」 貴幸が謝ると、悟志はまた明るく笑った。けれど貴幸の心は逆に、沈んでいく一方だ。 「ごめん。……今日だけじゃなくて、昔から」 「いいって」 「……悪いことした。本当に」 身を挺してまで自分と美幸を庇ってくれた悟志。彼から一方的に距離を置いた自分。それから今年、数ヶ月前に姿を見せるまでに、彼はどれだけ傷ついたのだろう。少し前には涙も見せていた。悟志はいつだって貴幸のことを考えて、優しく接してくれる。なのに貴幸のしたことと言ったら、身勝手な拒絶に曖昧な態度、そればかり。 申し訳なくて声が震えた。 「タカちゃん?」 「……自分勝手に近づいたり、離れたり…。最低だよな、俺。ごめん、悟志……」 とても顔を上げていられず、貴幸は俯いた。おろおろと悟志が手を握ってくる。 「そ、そんなこと言わないで、タカちゃん。僕はそんなこと思ってない、今だってすごく嬉しいよ! だって僕は本当にタカちゃんのことが好きだったから、本当に……」 何故だか悟志まで泣き出しそうな声になっていた。 「わっ……、お、おい、どうしてお前が泣きそうになるんだよ、悟志!」 「だって……」 ぎょっとして涙も止まる。反して悟志は鼻をすすり、体を震わし、まだまだ堪えようと必死な最中だった。 「もう、何を言ったらいいのか分かんないよ。色々なことがありすぎて」 すん、と一度きり鼻を鳴らし、悟志は軽く首を振った。その幼げな表情を見ていたら貴幸の心には突然に、彼への思いが膨らんでいった。ああ、好きだと、改めて思う。愛しくて堪らなかった。心の中だけでは抱えきれないほどに。 「好きだよ、悟志」 手を握り返して囁くと「うん」と悟志も小声で言った。 「夢みたいだ」 「ああ」 「……タカちゃん。さっき僕の気持ちを勘違いって言ったけど、もしかしたら、タカちゃんこそ勘違いかもよ?」 問いかけられて言葉に詰まる。まさかそんなわけがない。でも、勘違いなんかじゃなく好きなのだと言うのは恥ずかしすぎた。 声を立てて悟志が笑う。 「まあ、もしそうだとしても、もう離さないけどね」 言って悟志が目を閉じた。同じように貴幸も瞳を伏せて、どちらからともなく口づける。 あんなに何度もキスをしていたのに、本当の意味で唇を合わせたのは初めてで、まるでこれがファーストキスのように大きく心臓が音を立てた。なのに室内は物音ひとつせずに静かで、そのアンバランスさが余計に貴幸の心を震わせる。 「は、……」 今までとは違う、短く触れるだけのキスだった。 なのに心地よさも緊張も、これまで『練習』という名目でしたキスとは全然違っていた。これが恋人との口づけなのだ。初めて経験するそれは、よくて、よくて堪らなかった。 唇を離してから悟志は、貴幸の肩に頭を乗せて言った。 「あのさ、タカちゃん」 「……ん。分かってるよ」 貴幸も答え、手を伸ばす。彼の下肢に。今のキスで反応してしまったのは二人とも同じで、そして二人とも分かっていた。相手が自分と同じことを考えていると。 「う……」 悟志もすぐに、貴幸のズボンの間に指先を触れさせた。そしてなぞるように性器に触れ、貴幸の反応を確かめる。そのままズボンの隙間から、手を入れてきた。 「――うわっ…!?」 だがそのまま、悟志の手が予想もしなかったところにまで入ってきたせいで、貴幸は声を上げてしまった。悟志が触れてきたのは性器よりも更に奥、これまで一度とて誰にも触れられたことのない箇所だった。 初めてそんな場所に手を伸ばされた衝撃に、体がビクリと跳ねる。彼のズボンの前に触れさせた手に、思わず力を込めて押してしまう。 「なっ、な、何だよ! 何をしようとしてるんだよ、悟志!」 訳が分からずに叫ぶ途中で、ふと気がついた。そう言えば――男同士のセックスでは、そこを使う場合もあるという。まさか、悟志がしようとしているのは、『それ』なのか。 絶対に当たらないで欲しい想像だった。 「タカちゃん。……したい」 なのに悟志は貴幸の抵抗に怯む様子もなく、赤らんだ顔でじっと貴幸を見つめてきた。 「したい!? ――な、何をだよ」 「ここに入れたい」 「……っ!」 言って悟志が、忍ばせたままの指をぐっと曲げたせいで声にならない声が出てしまう。勝手に体中に力が入り、ぞくぞくしていく。 冗談ではなかった。いくら貴幸が悟志を好きだとは言っても、そんなセックスなど考えたことがなかった。たった今まで。悟志は違ったというのだろうか。これまでにも、こういう想像をしていたというのか。 「駄目?」 「駄目とかそれ以前に……無理だろ、そんなの!」 首を傾げ、甘えるように悟志は言ってくるが、まさか了承できるはずもない。貴幸は再び悟志を軽く押した。だが悟志は諦めようとはしてくれない。 「無理そうだったらやめるから」 「無理だよ! 最初から」 「そう言わないで。本当に嫌になれば、途中で諦める」 「無理だって……」 「タカちゃん。僕さ、ずっと前からタカちゃんのことが好きだった」 不意に悟志が、貴幸の体を抱き寄せた。熱いものが腹あたりに当たり、身を引かせそうになる。そこを更に強く抱きしめられた。 「タカちゃんはさっき言ったよね。二年前から僕が好きだって」 「……ああ」 「僕はそれより前からだよ? 離れてる間も寂しくて寂しくて、タカちゃんと話す口実を考えるのに一生懸命だった」 悟志の声は真剣だった。切なげに思い返し、掻き抱く腕にぎゅうと力を込める。 (そんなに前から――?) ずきんと、胸が高鳴った。 さっきから悟志は、ずっと前から好きだったとは言っていた。だが本当にそんな昔から恋愛感情を抱いていてくれたなんて。 正直なところ、嬉しくて愛しくて、堪らなかった。 「だから今もう凄く興奮しちゃって、収まりそうにない……」 「う」 哀願だった。そんな風に、心から欲しがっているように言われてしまっては、返す言葉がない。 「だからタカちゃ――」 悟志が言いかけたとき。リズミカルな電子音が、貴幸のズボンから鳴りだした。チャララチャラと軽快に鳴るその音の元は携帯電話だ。メールの着信音だった。 「あ! もしかして美幸かも。悪い、ちょっと待った」 貴幸はハッと思い出し、急いで携帯電話を開いた。そういえば美幸に連絡するのを忘れていた。思ったよりも長い話し合いになってしまったから、きっと彼女は今頃、話がどんな流れになっているのかと不安で堪らないに違いない。 「えー……」 いいところで邪魔が入り、悟志は残念そうにしていたが、それでも渋々抱き寄せる腕を放した。 「あ、やっぱり」 開いてみるとメールの発信元はやはり美幸だった。『話し合いどうなった?一段落したら、教えて!あとどのくらいで帰ってくるの?』と絵文字混じりに書かれている。 「ユキちゃん、何だって?」 「話し合いがどうなったか、いつ帰ってくるかってさ」 「え、……もしかして帰っちゃうの!? タカちゃん!」 焦ったように悟志が大声を出した。 ちょっと考えてから貴幸は返信画面を開き、少しの間、ピ、ピと美幸への返信を打った。送信が終わってから蓋を閉じる。それから悟志と目を合わせた。 「帰らないよ。『勘違いだった。しばらく悟志と遊んでから帰るよ』って打っといた」 「よ、良かったあ……」 言うと悟志は露骨にホッとし、へなへなとその場で力を抜いて手をついた。 「…………」 携帯電話の電源を切り、机の上にそれを置く。そして貴幸は照れくさくなりながらも言った。 「……本当に、途中で俺が途中で嫌だって言ったら、やめてくれるか?」 |