邪魔者排除奮闘記 * 3

 その日、兼ねてより話に聞いていた葉弥翔の友人が遊びに来るということで、麗は彼の送迎を申し出た。相手宅の門まで車で伺いましょうか、と。だが葉弥翔はそれを断った。彼と共に歩いて家まで来たいというのである。
 それならば事故などに備え、私も付き添いましょうと麗は言った。だが葉弥翔はそれにも首を振り、気を付けるから大丈夫だよと微笑む。葉弥翔のことが心配で、外出時にも傍らにいることが多い麗には不安でならなかったが、それでも本人が固辞するならばどうしようもない。できることといえば玄関や部屋の掃除を目一杯にして二人を迎えることだけだった。
 力哉を迎えに行くと言って葉弥翔が出ていってから、約30分。今はどの辺りにいらっしゃるのだろうか、ご無事だろうか。事故に遭ってはいないかとあれこれ考えながらも麗はいつも通りにスーツを着込んで玄関の内側に立っていた。きっと、葉弥翔と同じくらいに良い育ちであろうご学友。その彼に情けないところを見せるわけにはいかない。葉弥翔様が恥を掻いてしまう。気を張って迎えねば。
 まだだろうかという心配が十数回目に及んだとき。ふと外の方から、葉弥翔と誰かの笑い声が聞こえてきた。何を話しているのかまでは聞き取れないが、楽しそうな声だった。
(来た――!)
 麗は、ぴっと姿勢を正し、扉が開くのを待った。二人の声は段々と近づいてくる。そしてついにドアがキイと音を立てた。胸が騒ぐ。そして、それがほぼ完全に開いたとき、麗は恭しく頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいませ。葉弥翔様がいつもお世話になっております」
 今にも顔を上げたい、そうして葉弥翔の友人を見てみたい。そんな欲求はあったものの、じっと抑えて焦ることなく頭を下げる。語調も厳かにして丁寧。執事として完璧な対応だった。上品であるだろう『力哉』という少年も、この挨拶ならば不満を覚えることもないと、そう思った。
 しかし。そのあとに聞こえてきた声は、全く予想外のものだった。
「うわっ! 本当に執事さんがいる! すっげー!」
 驚いたような言葉だった。
(……う、『うわ』?)
 何だろうか。品のない言葉遣いが聞こえたように思え、麗は口元を引きつらせた。いや、それどころか、『すっげー』とまで言っていたような気がする。しかも単語だけでなく言い方まで何というか、著しく乱暴だったような――。
 麗はそうっと顔を上げた。葉弥翔の学友、高貴な育ちであろうその少年を見るために。
 そこにいたのは『高貴』という表現とは対極に位置するような男だった。
「すげえ! わ、白手袋してる! おまえんち、中までこんな風になってんのか!」
 泥棒か何かかと思った。それほどに、この華宮の家にはふさわしくない来客だった。
 彼の制服は首元のボタンがいくつも外されており、下のシャツが露出している。服は皺だらけでくしゃくしゃだ。手は、片方は腰に添えられ、もう片方は鞄ごと首のあたりに回されている。両足は揃わずに開いて立ち方ががさつである。おまけに髪は整っているとは言い難く散っていて――そして何より、その表情! ぽかんと開いた口と、驚きに象られた眉、初めて目にした好奇に煌めきを持つ瞳。それは葉弥翔の上品とは対極に位置してする形だった。
 それらの特徴を一言で表すのなら、不良。見るからに柄の悪そうな男だった。
「…………」
 予想だにしなかったその姿に、不覚にも麗は何も言えなくなった。
「わー。どこから驚けばいいんだよ、これ。こんな扉も玄関も……、って、あれ、シャンデリア!? すっげえ!」
「そ、そうかな? 普通の家には無いものなの?」
 男は天井を指差して間抜けに大声を出している。全く品性のない喋り方。聞くに堪えない。しかし衝撃はそのこと自体よりも、葉弥翔が彼に対して平然と――というよりもむしろ、楽しそうに話しかけていることだった。
(こ……、この男が、葉弥翔様のご友人……?)
 呆気に取られ、それでも外面的には動転などすることはなくぴしりと立つ。その間にも彼らは目の前ではしゃいでいた。
「ああ、普通の家にはこんなのねえって!」
「そうなんだ? 僕、普通の家ってあんまり行ったことないから……」
「じゃあ今度、俺のうち来いよ。驚くぜ、狭くて汚くて」
「え? いいの?」
 見ているだけで和むような表情をして葉弥翔が笑った。なぜ、こんな男にそんな笑顔をなさるのですか、葉弥翔様! 麗は冷静な仮面をつけた裏で叫んでいた。
「ああ。いつでも来いよ、ハヤト」
 ハヤト! 信じられない、この男、今、葉弥翔様のことを呼び捨てた――!
「うん、じゃあ、今度行くよ! ……あれ? 麗?」
 挨拶をしたきり黙り込んでいる麗に、葉弥翔が首を傾げて声を掛けてきた。しまった、案内するのを忘れてしまっていた。麗はこほんと咳払いをし、改めて真面目な表情を作った。
「……失礼致しました。私、葉弥翔様にお仕えしております、伊月と申します。……高良力哉様でいらっしゃいますか?」
 問いかけながら、どうか違っていますようにと願う。こんな男が葉弥翔の学友であるはずがない。どうか今すぐにでも、違います、間違えましたと言って出ていってくれないだろうか。麗はそう強く祈った。
 だがそれは無駄だった。目の前にいる粗暴な男は、いくらか照れたように笑った。
「はい、そうです。ええと、ハヤトとはクラスが変わってから知り合って、仲良くなったんスよ。……どーも、世話んなってます」
 確定だった。
 この、見るからに品のない、まともに敬語すら使えない男が、高良力哉。ハヤト様のご学友。……何かががらがらと崩れていってしまいそうだった。それを堪え、伊月は形ばかりの笑みを浮かべる。
「高良様ですね。お話はかねがね、葉弥翔様より伺っておりました」
「あ、力哉でいいっス。高良様なんてそんな、柄にも合わねえし」
 言ってから力哉は、はははっ、と豪快に笑った。何が面白いのだか分からない。だが隣にいる葉弥翔までも、おかしそうにくすくすと笑っている。立ちくらみがしてきそうで、麗はつま先に力を込めた。
「失礼しました。それでは力哉様と」
「うわっ、名前に『様』がつくのもすっげえ感じ!」
「……では、力哉さん」
 大げさに力哉が驚くもので、麗はポーカーフェイスで更に言い直した。今度の呼び方には問題がなかったらしく、彼も余計なことを言わなかった。
「本日はご足労いただきましてありがとうございます。奥にお席をご用意致しております。どうぞ、こちらへ」
 冷静に、冷静に。麗は自分にそう言い聞かせつつ二人のことを案内し始めた。
「わー、すげえ。床がピカピカしてる」
「時々、ワックスを塗り直すんだよ」
「柱とか壁とか……、凝りすぎじゃねえか?」
「そうかな?」
「どこを見てもすげえんだけど」
 歩くたび力哉は、語彙も貧困にすげえすげえと口にした。うるさく、やかましい。いちいちそれに答える葉弥翔が不憫だった。早くも追い返したい気持ちを堪えて麗は来賓室に彼らを連れて行く。
「……こちらです。どうぞ」
 ぺこりと頭を下げ、手で入室を促す。力哉は遠慮もなくドアノブに手を掛けた。そこは、家人である葉弥翔様が手を掛けるべきだというのに! それでも麗は、表情だけは穏やかに彼のことを見た。
「うっ……わあ! 広っ! 何だこの椅子と机!? カーテンまですげえ!」
 入るなり力哉は再び騒ぎ始めた。こんな家に来たのは本当に初めてらしい。その下品な騒ぎ方。どこからどう見ても、庶民。葉弥翔と付き合うには相応しくない男である。
 麗は再び頭を下げた。
「どうぞ、おくつろぎになってお待ちください。ただ今、菓子をお持ち致しますので」
「あ、ちょっと待った! 俺も行きます、手伝うっスよ」
 舌打ちしたくなるのを麗は必死で堪えた。ついてくるな、無作法者め――! と言いたくて仕方がなかった。だがそこで不意に思いつきが浮かんできたもので、にこりと微笑んで振り返る。
「よろしいのですか? 助かります」
「あっ、それだったら、僕も……」
「葉弥翔様は結構です」
 二人が立ち上がるのを見て葉弥翔も動こうとしたが、まさか主人の息子を使うわけにもいかない。麗は彼のことを止め、力哉とだけ揃って部屋を出た。
 こつ、こつ、こつ。歩くたびに靴が鳴る。
「いやー、すごいスね。ハヤトの奴が金持ちなのは知ってたけど、まさかここまで」
「ご主人様は大変優れた方でいらっしゃいますので」
「へえ。伊月さん、あんた――じゃ、なかった! あなた……も若いみたいですけど、いつからここに?」
「私は幼少の頃より仕えております。葉弥翔様がお生まれになってからすぐのことです」
「すげえな!」
 どんどん歩くうち、次第に来賓室からは遠ざかってきた。麗は辺りを軽く見回した。これだけ離れればもう、何を言っても葉弥翔に声は聞こえまい。
 力哉は相変わらずきょろきょろと落ち着きなく周囲を見ていた。
「それにしても凄いですね。置き物一つをとっても――」
「うるさい」
「え?」
 冷たく言い放つと、力哉が呆けた声を出した。
 もう笑みを作る必要もない。麗は眉を寄せ、男のことを睨み付けた。
「うるさい、と言ったんです。……何が目的だ? 葉弥翔様に近づいたりして。金が目当てなのか!?」
「はあっ!?」
 力哉は言われたことの内容が理解できないとばかりに目を見開いた。それから狼狽しつつも苦笑する。
「ちょ、おいおい、何言ってるんスか! んなわけないですよ、俺はただハヤトの友達で」
「一体どうやって取り入ったのです! 葉弥翔様を利用しようとしているのなら容赦はしません。今すぐ帰りなさい!」
「なっ……」
 怒るより何より、力哉は唖然としていた。急にこのようなことを言われれば無理もない。だが、時間が経つにつれその顔はじわじわと皮肉な笑みを象り、馬鹿にするような冷めた目になった。
「……へえ。なるほど、そういう本性だったわけかよ」
 先ほどまではかろうじて丁寧語を使っていた彼は、がらりと声を低めて吐き捨てるように言った。麗も負けじと力哉を見返す。
「葉弥翔様とあなたでは釣り合っていない。きっと、金が目的で近づいてきたのでしょう。そうはさせません! 葉弥翔様のことは、私が守ります……!」
「あっ……のなあ、アンタ!」
 力哉はようやく怒りが沸き上がってきたらしく、瞳を燃え上がらせて怒鳴りつけた。そうして激昂する姿は麗には余計、危険人物の証であるように思える。故に、更に冷たい眼差しで彼のことを見上げた。
「帰りなさい」
「嫌だね。友達んち来たばっかで帰れるかよ」
 それからしばらく、瞬きさえ忘れて睨み合う。
 見れば見るほど力哉という男は、粗暴で、葉弥翔とは不釣り合いなタイプだった。不快そうに眉を上げている今は特にそう見える。もし、麗の大切な葉弥翔が、この男にこうして凄まれでもしたら。そうしたら穏やかな葉弥翔は怯えて、言いなりになってしまうに違いない。
(葉弥翔様を、そんな危険な目に遭わせてなるものか……! 私が、何とかしてこの男を遠ざけなければ)
 使命感に燃える麗だった。

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