足に衝撃を感じたのが最初だった。
「ん……?」 何だろう。今、蹴られたような気がする。というか、重い。何だこの腕、それに裸――。 「あああッ!」 そこまで気づいたところで、ガバリと貴幸は身を起こした。同時に腰に重い鈍痛が走る。 「うっ」 「……う…。どーしたの、タカちゃんー……」 むにゃむにゃと表すのが最適な眠そうな声で、悟志が答えた。 手で腰を押さえながら貴幸は、毛布を思い切り剥いだ。……自分も悟志も裸だ。そして部屋は、すっかり暗くなっている。今、蹴られたような感じがしたのは、悟志の寝相に違いない。 ――寝てしまった……! 目が覚めて早々激しい絶望に包まれた。 部屋の暗さを見るに、あれから何時間も経っているらしい。 「寒い、タカちゃん……」 悟志は相変わらず眠そうに言って再び毛布を引き上げようとした。その姿に怒鳴りつける。 「おい、悟志! 何時だ今!」 「…………」 「寝るなって!」 「……うぅ…。寝ようよ、眠い……」 悟志は本当に眠くてどうしようもないようだった。だがその言葉に従うわけにはいかない。ずきずきと強く痛む腰を押さえて電気のコードを引き、部屋に明かりをつけた。 うーん、と唸りながら毛布に顔ごと隠してしまった悟志の、その体に掛かる毛布を剥ぐ。ベッドの上にある時計を見るとやはりあれから何時間もが経過していた。 貴幸は慌てながら大声を出した。 「起きろ、悟志……! ね、寝ちゃったのか、俺たち! 美幸に連絡しないと……いや、こんな時間じゃ母さんからも連絡が……ああっ! そうだ! おばさんももう、帰ってきてる時間なんじゃないか!?」 口を開くと先ほど使った箇所に響いてしまって仕方がない。それでも言うしかなかった。 悟志は未だ夢の中にいるように眠そうに目元を擦りながら、答えた。 「んー……。大丈夫、タカちゃんが寝ちゃったあと、連絡しておいたから」 「え?」 「タカちゃん、あれからすぐ寝ちゃってさ……。起こすの勿体なかったから、ユキちゃんに連絡しておいたよ。うん。……引っ越しは誤解です、あと仲直りしました、ついでにタカちゃんは今日泊まっていきますって。ああ、あと……母さんは今日、帰ってきません。再婚相手とマンションとか見てきて、ついでに泊まり」 ふああ。欠伸をしながら悟志は言った。ようやく少しは目も覚めてきたようでゆっくり身を起こしている。表情はにへりと幸福に浸りきっていた。 手回しの良さに貴幸は内心驚いた。 「あ、そう……なのか。それはどうも、ありがと…」 目の前の悟志は真っ裸だ。安心したところでふとそれに気がつき、カアーと頬が熱くなっていく。 悟志も恥ずかしそうに微笑んだ。 「あ。そうだ。下の方も拭いておいたから」 「下?」 「だからさ……。あのままだと、垂れてきちゃうから、ティッシュで」 とんだ衝撃発言である。羞恥で爆発しそうになりながら貴幸は目を逸らした。 「……そ、そっか」 まさか意識のない間に、そんなこともしてもらっていたなんて! ……想像してしまって貴幸の頬は引きつった。 そのまま少し無言のときが流れる。不意に悟志は、貴幸を抱き寄せた。そして聞いた。 「痛くない? タカちゃん」 「ん、まだちょっと……」 「そっか」 再び、沈黙。今日は色々なことがありすぎて、何から話していいのか分からなかった。 次に口を開いたのも悟志だった。ぼそりと独り言のように呟く。 「幸せ」 照れながらも貴幸も同意した。 「……ああ。俺もだよ」 「うん。もう、ほんと、幸せ。生きてきた中で一番」 言いながら悟志が腕に込める力を強くし、頬をすりつけてくる。 「ほんとに夢みたいだ。タカちゃん、大好き」 まだ寝起きだからか悟志の体温は普段よりも高かった。抱かれながら貴幸も言う。今度は先ほどよりもはっきりと。 「俺もだよ。悟志、俺も悟志が好きだ」 こうして抱き合っていると、幸せで愛しくてどうしようもなかった。 悟志は温もりを噛み締めるように瞳を閉じて言うのだった。 「……うん。……今日はこのまま泊まっていきなよ、タカちゃん。それで明日、一緒に学校行こ。鞄だけ、取りに戻ってさ。……それで明後日からも、毎日一緒に学校行こう」 「ああ。分かったよ」 「それで休日にはデートしたりして、放課後にも会おう」 「……そうだな」 それはとても幸せな想像だった。だけどただの想像じゃなくて、明日からは本当にそうして過ごせるのだ。不思議と貴幸の目元は熱くなってくるようだった。 残念そうに悟志は言葉を続けた。 「って言っても、生徒会は結構、朝早く集まるから一緒に登校できない日もあるんだけど」 「そっか。バスケ部も、大会前には朝練で忙しいな」 「あっ、そうだね。……うう、せっかくの毎朝会えるチャンスなのに」 悟志が本当に悔しそうに言うものだから、貴幸は彼の頬にキスをした。うまくできずに歯が少し当たってしまったが、それでもキスには変わりない。 「その分だけ、他の時間にたくさん会えばいいよ」 悟志は一瞬驚いたような顔をし、それから見る見る破顔した。緩みきった表情である。 「うん! ……幸せだなあー、もう」 そう言って微笑む彼のことを見ていると、俺こそ幸せだよと、貴幸は思わずにいられない。だってここまで来るまでに随分とたくさんのことがあったのだ。遠回りの末に手に入れた恋は何よりも貴重だった。いや、もしもこんなすれ違いなどがなく、あっさり悟志と思いを交わし合えていたって、この恋の尊さは変わらないに違いない。 そのときふと疑問が沸いてきて、貴幸は聞いてみた。 「そう言えばお前、どうして生徒会に入ったんだ?」 悟志は中学の頃には全くその辺りの組織には興味が無かったはずである。たまたま生徒会の話が出たもので、前から抱いていた謎を思い出した。 尋ねてみると悟志は抱きしめる腕を離し、照れくさそうに笑い出す。 「え、それは……。えー、言いづらいなあ」 「変な理由なのか?」 「変って言うか。……ほら、中学のときに、ああいうことあったでしょ?」 ああいうこと。つまり、美幸が襲われかけ、悟志が停学になったあの事件のことだ。 貴幸はこくりと頷いた。 「もしかして、あれで?」 「そう。もっと風紀がしっかりしてれば、あんな事件起きなかったかもしれないってね。勧誘受けたときに、そう思ったんだ」 「勧誘? へえ」 貴幸の記憶が確かなら、悟志は入学から数ヶ月経った頃には既に生徒会活動を行っていたはずだ。とするとその頃から学業成績や素行がよく、目立っていたということになる。つくづくよく貴幸を騙していたものだ。 (あ。そういえば) 生徒会ついでにもう一つ疑問が思い浮かんできた。雰囲気に乗じてもう一つ聞いてみる。 「そうだ。悟志、前に俺が質問したときにお前、否定してたよな」 「質問?」 「上級生に結構厳しい口調で注意してたって。あれ、結局本当だったのか?」 「ああ」 意外に悟志はあっさり頷いた。 「うん。本当。悪いこと注意するのに上級生も何も関係ないよ」 「ほ――本当!?」 「タカちゃんがそうやって心配すると思ったから、黙ってたんだよ。……ごめんね」 悟志は苦笑している。しかし貴幸はとても笑い飛ばすことなどできず、抱き合った体を離して慌てた。 「し、心配って、そりゃ、するに決まってるだろ! 大丈夫なのか? 悟志……目をつけられたりしてるんじゃ」 「大丈夫だよ」 あまりに貴幸があたふたと言い募るものだから、悟志はそれを手で制し、苦笑いを深めている。 「っていうかさ、タカちゃんは僕を誤解してるよ。僕は結構、こう見えて、したたかな方だよ?」 「……タカちゃんタカちゃん言って、甘えてくるくせにか?」 「う。それは単なる昔からの癖で……、普段はあんなじゃないよ」 悟志はそう言うけれど、とても俄には信じがたい。実際に同級生たちといたときの姿を見ていても、だ。やっぱり貴幸の中では悟志は甘ったれた奴なのだ。 「本当かな」 じと目で見たあと、貴幸は不意に笑ってしまった。 自分が殴られた方がマシだったと思うような事件があって、自分の気持ちに気づいて距離を置きもして。疎遠にはなりかけたけれど、それでも今はこうして二人でいることができる。悟志が嘘をついてまで来てくれて本当に良かった。 「そうだ。まだ、あのときのお礼、言ってなかったよな。……ありがとう、悟志。俺と美幸を助けてくれて」 突然に思い出し、貴幸は真っ直ぐに悟志を見て言った。 面映ゆいように今度は悟志は照れ笑いをする。いちいち笑い方のパターンが多い奴だ。 「え、いいよ。そんなわざわざ」 「いや。今までずっと、ごめんって言ってばっかりだったからさ……ちゃんとお礼も言わなくちゃな」 「い、いいよ、そんなの。いつも助けられてたのは僕の方だったし、ちょっとしたお返し程度に思っておいてくれれば……」 赤い顔で悟志が言う。それから二人同時に瞳を閉じた。唇を近づけ、軽い、合わせるだけのキスをする。 口づけが終わってから悟志はまた、貴幸に言った。 「好きだよ、タカちゃん」 じんと胸が熱くなりながら貴幸が返す言葉もまた、彼と同じである。 「俺も好きだよ。悟志」 その後に悟志が見せた笑みは、ずっと昔から見慣れた、けれど今までで一番幸せそうな心からのものだった。 |
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おしまいです。お疲れさまでした!