邪魔者排除奮闘記 * 7

 それで万一葉弥翔のテスト結果が悪くなってでもいれば、麗としても彼を追い返す口実ができたのだが、彼の今回の成績は良かった。いつも中の上程度である点数は、ぎりぎり上位と言えるか言えないかぐらいのところまで上がっていたのだ。
(……む。あの男と教え合っていたことが、この結果に繋がったのか…?)
 連日のように力哉が来たことで、結果的に葉弥翔の学習時間はこれまでよりも増えていた。そして分からない箇所を気軽に尋ね合い、聞かれたところを解説することで理解力もついたのだろう。
 さすがに麗としても、認めないわけにはいかない。……力哉の訪問による悪影響は、ない。少なくとも現時点では。
 これまでより良い順位のテスト結果を見せたというのに、難しい顔をして用紙を握りしめる麗に、葉弥翔は若干怯えているらしかった。緊張した様子で手を前にやって組み、口元を結んで眉を下げ、麗が何事か話すのを待つ。どちらの方が上の立場なのだか分かったものじゃない。
 はあ、と麗は瞳を閉じて嘆息し、腕を組んで考え始めた。
 あれからも力哉は度々来ている。そして葉弥翔はもとより麗に対しても気安く声を掛けてきているのだった。近ごろなど麗の姿を認めると、ひょいっと手を上げ、
「おっす、伊月さん!」
 と明るく呼んでくるほどである。どうも彼にとって麗は、すっかり脅威でも何でもなくなってしまったらしい。宜しくないことだ。これまで葉弥翔に近づいてきた不審な者たちは、麗が眼光鋭く睨み付ければ畏怖して帰っていったというのに。
(しかも、何か様子がおかしい……)
 力哉と、これまで葉弥翔に関わろうとしてきた同級生たちとの違いはその一つだけではない。これまでの同級生たちは幾度か会ううちに家庭の財政不安を打ち明けるなり、自身の親と葉弥翔の親とを会わせようとするなりしていたというのに、力哉は違っていた。どこからどう見ても裕福には見えない身なりや言動だというのに、いわゆる『たかってくる』様子がなかったのだ。
 葉弥翔を大切な友達だと言っていたときの力哉を、麗は知らないうちに思い返してしまっていた。
(まさか本当に奴は葉弥翔様と、……いや! そのようなはずがない、騙されるな伊月麗――! 以前に私のチェックが甘かったせいで、葉弥翔様にお辛い思いをさせたことを忘れたか…!)
 苦渋が余計に深まっていく。まさか、いやそんな、でもという葛藤に苦しめられる。
 葉弥翔はその間ずっと、いつ怒られるのか、どうして怒られるのかとびくびくしていた。

******

「うーっす、こんちわ伊月さん! 今日はそろそろハヤトがゲームクリアしそうってことで、違うやつも持ってきたぜ!」
 その日も力哉は、相変わらずさっぱりとした様子で挨拶をしてきた。いつもならばここで、文句の一つや二つを言っている麗だ。例えば、葉弥翔様にそんな暴力的な遊戯をさせるのはやめてください! だとか、毎度毎度やって来るなんて熱心なことですね、いくら来たところで懐柔なんてされませんよ! だとか。
 だが今日はそうしたことを言うつもりはなかった。麗は、やや苦々しい顔をしながらも、深く腰を曲げて頭を下げた。
「……いらっしゃいませ。葉弥翔様は来賓室にてお待ちでございます。私は所用があります故ご案内は致しかねますが、どうかご理解のほどを」
「へっ?」
 てっきり日ごろのように怒られることを覚悟していたのだろう。丁寧に迎え入れられた力哉はむしろ、ぽかんと呆けて目をぱちぱちとさせていた。
「来賓室への行き方はお分かりで?」
「え、ああ。そりゃ何度も邪魔してるんだから分かるけど――、どうしたんだ? 伊月さん。よっぽど大事な用事でも?」
 力哉は狼狽露わな様子である。これまで必ず葉弥翔の傍らに付き添い、片時たりとも目を離そうとしなかった麗が今日は来ないと言うのだから、それは衝撃である。
 問いかけに麗は、いえ、と淡々と答えた。そして丁寧すぎて冷たく聞こえる言い方で。
「草木の手入れがございますので」
「く、草? 木? そんだけかよ!?」
「……では、失礼致します」
 大声を出す力哉のことは放っておいて、ぺこりと会釈をしてその場を去る。
 力哉はしばらくその後ろ姿を見ていたが、じきに首を捻りながら歩き始めた。


(油断して本性を見せれば、そのときこそが運の尽きだ、高良力哉……!)
 勿論麗は、ただ彼らから離れたわけではなかった。思いきり性格悪くにやりと麗は笑う。
 彼が今いるのは、梯子の上だった。執事たる者、気に掛かる部分の手入れを他人にばかり任せてもいられない。だから麗は、以前より枝の伸び方が気になっていた木に梯子で近づき、その剪定を行っているのだった。
(私がいないからと、葉弥翔様に妙なことを言ってみろ……すぐさま追い出してくれる!)
 木のありかは、来賓室のすぐ近く。近ごろは気温が上がってきていることもあって、葉弥翔は部屋のカーテンと窓を開けていた。だからこの場所にいれば、二人の会話はおおよそ聞こえてくる。そして振り返れば二人の様子だって丸見えだ。
(葉弥翔様。あなた様に内緒で、盗み聞きなどという許されぬ罪を犯す私めのことを、どうかお許しください)
 心の中で深く謝罪し、そして実際にも頭を下げながら麗は思う。けれど、これも葉弥翔のためなのだ。力哉が、自分がいては本性を見せないというのならば、一時的にいなくなるより他に方法はない。この場所から二人の様子を探るのだ。
 ぱちん、ぱちん。枝木をはさみで切り落とす音が変にコミカルだった。
 こちらから彼らの様子が窺えるということは、彼らの側からも、見ようと思えば麗の姿を目にできるということである。なかなかにリスキーな賭けだった。だが用がなければこちら側など見ないはずである。万一見つかってしまったところで、まさか盗み聞きをしているなどとは思われないだろう。
「……うーん」
 これまでぼそぼそと話していた力哉が、考え込むような唸り声を出したもので、麗はハッとして窓の方へ振り返った。
 部屋へ入ってからの二人は、さして変わった様子ではなかった。聞こえた単語から推察するに、どうやら今日も学校やらゲームやらについて話していたようだ。普段との違いと言えばせいぜい、入室した際、今日は伊月さんいないんだってなと言った力哉に対して、
「そうらしいね。麗も忙しいみたいだから」
 と、心配そうに葉弥翔が返したこと程度だろう。葉弥翔が自分を気遣ってくれていることに感動しすぎて、危うく麗ははさみを取り落としてしまうところだった。
 けれど。ついに力哉が声音を変え、いかにも悩むような様子を見せ始めたのだ。ついに『そのとき』が来たのではないか――! 麗は少しだけ体を動かし、しっかりと木の枝を掴みながら窓の方に目を向ける。視線の先で力哉は、腕を組んで首を捻っていた。
「どうかした?」
「……あの、さあ」
 葉弥翔が首を傾げ、彼に問いかける。いよいよだ。ついに、この男の本性が露わになる。始めの言葉は何だろう。麗はどくんどくんと早まる心臓を抑えつつ、予想をした。
『こんなこと言っていいのか分かんねーけど、……実は今、金がねえんだ』
 それが尤もストレートだろう。そして心配した葉弥翔に彼は、ちょっと金を貸してくれ、とでも言う。
 いや、違うパターンで来るかもしれない。
『本当に豪華な家だよなー! 一個くらい、置き物とかくれよ』
 冗談ではない。華宮家に置かれた物は全て、質も値段も最高級の物なのだ。一つだけでも相当な金額である。そのように言われたら葉弥翔は当然渋るだろうが、この大柄な男がドスの利いた声で、
「いいだろ!? ああ!? んっだよ、何か文句あるのかよお!?」
 ――などと詰め寄りでもしたら、断り切れないだろう。
(そうしたら、その瞬間に現場へと飛び込んでやる!)
 決意をし、目元を鋭くつり上げつつ麗はごくりと息を呑んだ。目の前で力哉は、観察されていることなど知らずに頭の後ろで腕を組み、思い切り椅子に背をもたれさせている。
 そしてついに、口を開いた。
「いないといないで、何かちょっと寂しいよな」
「え?」
「だから、伊月さん」
「えっ、麗?」
 そうそう、と力哉が深く頷く。
 まさか自分のことが話題に上るとは思っておらず、しかもその内容が『いないと寂しい』などというものだったために、麗は目を瞠ったままぴたりと硬直してしまった。
(……さ、寂しい? 私が、いないと? 何だそれは…!?)
 麗の動揺など関係なしに会話は進んでいく。
「今までいつ来ても伊月さん、すぐ側にいたからさ。いないと、なーんとなく……変な寂しさっていうか。独特な雰囲気あるからな、あの人」
「ふうん、そういうものなんだ? 僕は麗が側にいるのがいつものことだから、勿論変な感じがするんだけど、力哉でもそうなんだ」
「ああ。いーっつも、すげえ目で見てきてるからな、あの人。いないと逆に落ち着かなくて!」
 ははははと力哉が思い切り笑い出す。
(何っ。馬鹿にして!)
 口元を結んでムッとしながらも麗は、怒りだけではない感情を覚えていた。『いないと寂しい』――頭の中ではその言葉がぐるぐると回っていて、それに思考を攪乱されているようだった。
 今、力哉は麗のいる場所なんて知らない。発言を麗が聞いているということなど考えてもいないのだ。だと言うのに、これまで散々彼を邪険に扱い、乱暴なことを言っていた麗に対して悪意以外のものを向けてくる。そんな風にされたら麗としても、心に刺さるものがないわけではない。
「すごい目……、そ、そんなに? ごめん…」
 葉弥翔は大きな瞳を更に開いて力哉に謝り始めた。
(葉弥翔様! そんな、あなたが謝罪をなさる必要などないのですよ!)
 自分の大切なお坊っちゃまが、自分のせいで頭を下げさせられている。その事実は麗に強いショックを与えた。力哉は葉弥翔に応え、ひらひらと手を振っている。
「はは、いいっていいって。とにかくそういう強烈な人だから、いなきゃいないで変な感じがするってことだよ」
「ふーん……。そっか。麗にそれ言ったら、きっと喜ぶと思うよ」
 喜びません、葉弥翔様! こればかりはいくら葉弥翔様の仰ることでも、同意致しかねます。
「仕事終わったらさ、伊月さん来んのかな?」
「……ううん。来ないって一回言ったんだから、来ないはずだよ。自分の都合次第で約束を違えるわけにはいきませんって、麗ならきっと、そう言うから」
「あー、言いそう」
 同意して力哉はにやりと笑った。何だその顔は。
「力哉、そんなに麗に会いたかったわけ?」
「いや、……別にそういうんじゃねえけど。ずっと睨まれてたっていい気分じゃねえし。……でも、そっか、今日はあのコーヒーもナシなんだよな」
 彼は腕を組み、複雑な顔をしてそう言っている。あっ、それならさと葉弥翔が明るい声を出した。
「麗のこと呼んできたら? コーヒー入れて欲しいから来てもらえないかって。そしたら来てくれるよ、きっと」
「なに言ってんだよ! 一杯のコーヒーだけのために仕事中断させられるわけねーだろ!? ……やっぱハヤトって、まともなようで、ちょーっとズレてんなー」
「そうかな……」
 冗談交じりに指摘され、葉弥翔がしゅんと肩を落とす。力哉は何事かを考えるように頬杖をつき始めた。しばらくそうして無言になる。一体、何なのだろうかと気になり始めた頃にぽつりと、彼は葉弥翔の方を向いて尋ね始めた。
「あのさー、今、伊月さんどの辺にいんのかな」
「あ。やっぱり、呼ぶことにするの?」
「呼ぶっつーか、……やっぱり、いつもいる人がどっか行ってると、気になんねえ? 帰りに挨拶ぐらいしていこうかと思って」
 挨拶。そんなもの、別にしていかなくて良いというのに。あれだけいつも自分を邪険にしている相手に会いたがるなんて、おかしな男である。そんな風に麗が思ったときだった。
「そっか。麗は多分、その辺りにいると思うよ。枝が伸びてきましたねって、この前言ってたから」
 と言って唐突に、葉弥翔がくるりと振り返り、丁度麗がいる辺りに指を差してきたのだだった。
「!」
 あまりにいきなりのことで、体勢を整える暇も、顔の向きを戻す時間すらなかった。指の動きにつられて力哉も首を動かす。そして――かちりと、目が合ってしまった。指先を追って顔を上げた力哉と、二人の様子を窺うため梯子から見下ろしていた麗の、その視線が。
「あっ」
 麗と力哉は同時に声を上げた、のだと思う。自分の声に掻き消されて、力哉が何と言ったのか麗には分からなかったが、あの口の動きは恐らくそうだろう。
「いた? 力哉」
 笑み含んだ声で葉弥翔が話しかけている。力哉はその間も、ずっと麗を見上げていた。麗としても慌てて顔を逸らすわけにはいかない。結局二人は、部屋の中と外で見つめ合うことになってしまった。
(……しまった…!)
 力哉が妙なことをしたときにすぐ分かるよう、彼の姿がよく見える位置にいたことが間違いだったのか。位置と角度のために葉弥翔からは麗が見えていないようであり、力哉だけがこちらを見つめている。
 すぐ側にいたことを感づかれた上、彼のことを見ているときに振り向かれるとは何という失態。真正面からかち合ってしまった視線に麗はまばたきさえ忘れてしまった。
 少しして力哉が、苦笑いをしながら顔をまた葉弥翔の方に向けたことで、ようやく麗は我に返った。素早く木の方を向き作業に集中し始める。まるで、そっちなんか見ていませんでしたよと主張するように。
「すっげー、近くにいた」
 聞こえるかどうか程度の小ささで洩らされた力哉の呟き。それからいくらか、ごにょごにょと二人がなにがしか話している声がした。次にギイイと椅子が動く音、扉が開閉する音。何だかとても嫌な予感がして、麗はますます剪定に意識を傾けた。不要な枝葉を見極めて、シャキン、シャキンと切り捨てていく。
 それでもどうしても気になって、少しして再び部屋の中を見てみた。誰もいなくなっていた。
(うっ)
 先ほどまで確かに彼らが座っていた場所から、忽然と二人の姿が消えている。これは、もしかして。
「おーっい、伊月さーーん!」
 考えたくない予想が頭に浮かんだとき、下の方から自分を呼ぶ声がしてきた。間違いない。この声は、つい先ほどまで部屋の中から響いていたものだ。

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